風が冷たかったから、ぬくいような気がしただけ
小さい頃の瞠くんは、俺に話しかけるときはいつもおずおずとしていた。
「……せいちゃん」
話しかけたくて、かまってもらいたくてたまらないのに、心置きなく要求することができないのだ。
「どうしたの?瞠くん」
「……あのね、今日ね……、みんなでひみつきちつくったんだよ」
「へー秘密基地かあ。随分大掛かりなもの作ったんだねえ」
「……おおがかり、ってなあに?」
「大きなものってことだよ。それで、どんな秘密基地を作ったの?」
「あのね、お庭の木のね――」
りんごのように赤い頬をさらに紅潮させて、瞠くんは嬉しそうに話す。俺にとってはたわいもなく、この子にとっては大きな出来事だったろう事を、一生懸命に。
俺はその真っ赤に染まった頬を見て、もう随分寒くなったんだなー、とぼんやり思っていた。寒そうな頬は子供らしく可愛らしいけど、どこか痛々しい。
……なんとなく、手を伸ばしてみた。
「え!?……どうしたの?せいちゃん……?」
突然頬に手を触れられてびっくりしたのか、瞠くんは大きな目をまあるくする。
「ん?りんごみたいだなーと思って」
本当は触れ合うのが好きなのに、こういう時のこの子はいつもおろおろとしていた。
「……りんご?ぼくのほっぺが?」
「うん。寒くない?」
「……へーき。せいちゃんは手、あったかいね……」
俺に心配されて嬉しいのか、関心を向けられることに不慣れな子供ははにかむ様に笑った。
瞠くんは愛情と信頼をぎこちなく、けれど真っ直ぐこちらに向けてくる。
赤くひんやりとした頬から伝わってくるそれに居心地の悪さを感じて、頬を少しだけつねった。
「せーちゃん……?」
手の中の小さな生き物がびくりと震えて、おどおどとこちらを窺い見る。
こちらの手の動き一つでくるくると表情を変える様に意地の悪い愉しさをおぼえたけれど、察しの良いこの子に悟られないよう細心の注意を払って、あやすような笑みを浮かべた。
「ほっぺたやわらかそうだなーと思って。確かめてみちゃった。痛かった?ごめんね」
「んーん。痛くないよ」
俺の機嫌を損ねてしまったのではないと分かったのか、瞠くんは安心したように笑った。
「じゃあこれは?」
今度は両手で頬をつまみ、上下に動かしたり引っ張ったりしてみた。
子供の頬は柔らかくて、あーもち肌ってこういうのだったっけ、なんて、ついのんびりとした気持ちになる。
「きゃはは!」
「あはは。つねられてるのに笑ってるの?」
「だって、きゃー!あははは!」
つねられているのに、真っ赤な頬は痛そうなのに、瞠くんははしゃいでいた。
俺の手の中で百面相をしながらも、伝わってくるのは純粋な喜びだけだ。
「つねられて喜んでるなんて、変な子」
「……えへへ」
ますます赤くなってしまった頬から手を離すと、とたん、首の辺りに熱を感じた。飛びつくような勢いで、しがみつかれるようにぎゅっと、瞠くんに抱きつかれている。
「……どうしたの?急に」
「……なんでもない……」
そう言って何度も首を振るものだから、さらさらと掠める髪がくすぐったかった。
「そう?なんでもないんならいいんだけどさ」
施設の子供の面倒を見ていた時の常で、なだめるように小さな頭を撫ぜる。
ゆっくりとこちらを見上げた瞠くんは、恥ずかしそうに、噛み締めるように、ひっそりと顔を綻ばせていた。
「瞠くん」
「なに――っふぇ、にゃにひゅんにゃよ!」
瞠くんがまだ小さかった頃のささいな出来事を思い出した俺は、懐かしさのまま彼の頬をつねってみた。
すっかり大きくなった彼は、もう、頬をつねっても、微笑んだり戸惑ったりすることはとんとなくなった。
「あはは。変な顔。百面相だ」
「自分でやったくせに、笑うなよな……」
今では見慣れてしまった呆れ顔は、あの頃には見られなかったものだ。
「瞠くんは憶えてる?」
「何を」
「昔、俺がほっぺたつねったらさ、喜んではしゃいでたんだよ、君」
「……憶えててねーよ。つーか何ソレ。昔の俺可哀想……」
肩をすくめて、とぼけているのかそうでないのか悟らせずに瞠くんは答える。続くおどけたような仕草も、彼が大きくなる上で身につけた器用さだった。
「かわいくないの。あーあ、昔は素直でかわいかったのに……」
俺も負けじと肩をすくめてみせる。
……もしかしたら、後ろから見た彼の仕草は、俺のそれとよく似ているのかもしれない。
「……憶えてるよ」
「んー?何か言った?」
「なんでもねーよ」
ポツリと呟かれた言葉を聞き返すと、不貞腐れたような言葉が返ってくる。そのまま、歩く速度を上げて俺を追い越していった。
その背中には、『もう言わないからな!』と書いてあるような気がして、あの時と同じようで違う、意地の悪い愉しさが込み上げてくる。
「……ほんと、昔は素直でかわいかったのに」
瞠くんの頬はもう赤くはない。
けれど、マフラーから覗くあの子の耳の色は、あの時のりんご色を俺に思い出させた。
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